
8月6日の朝です。広島は80年目のあの日を迎えました。200回の記念投稿でこのブログも辞めたはずなのですが、今日だけは何かを書き残さねばと眠い目をこすりつつ、パソコンに向かっています。
手塚治虫の漫画『ブラックジャック』に「絵が死んでいる!」という名作があります。南の小さな島に住んで豊かな自然を描いていた画家ゴ・ギャンは、K国の核実験で瀕死の重傷を負い、島は壊滅してしまった。
核爆発の残酷さを世界に知らしめるための絵を描ける時間だけ生き延びさせてくれと、ブラックジャックによる脳移植手術を受ける。全身をケロイドと潰瘍、癌に冒され脳移植しか生き延びる方法がなかったのです。
ゴ・ギャンが新しい肉体を得て、99パーセント描き上げた絵を見たブラックジャックは、まるでうめき声が聞こえてくるようで、描き残したいというだけのことはある「すごい絵」と称賛するが、画家は強く否定します。
――実際はこんなもんじゃない……あの地獄のイメージが消えてしまった。こんな絵はできそこないだ。不完全だ! この絵は死んでいるんだ! もし放射線障害で死にかかっていたらもっと本物が描けたんだ!――
もうすぐ8時15分。僕はいつも通り、原爆ドームに向け首を垂れつつ黙祷を捧げるでしょう。80年前の今日、14万人といわれる市民が一瞬に犠牲となりました。たとえブラックジャックでも被爆者たちを救う手段は一切なかった。
広島市に生まれた人間は徹底した平和教育を受けます。小学校は今日、全校登校日でしょうか? 僕は祖父母や母から直接被爆体験を聞いた世代ですが、今の子供達はその機会がほとんどなくなっていると想像します。
被爆の語り部が高齢化で減ってきている。広島市は、自らの被爆体験を伝える「被爆体験証言者」と、被爆体験証言者の被爆体験や平和への想いを受け継ぎ、それを伝える「被爆体験伝承者」を養成しています。
体験した者にしか語れないことがあります。伝承者養成事業はもちろん意義あることではあるが、何らかの形で被爆者の語る実相をアーカイブ化する必要を感じます。AIがいろんな角度から取り上げられるが活用法を検討したいものです。
ブラックジャックの話には続きがあります。手術の1年後、ゴ・ギャンは再度発病します。彼の肉体で唯一残された脳も放射線障害のため、10ヶ所以上もの腫瘍に冒され昏睡状態になっていたのです。
昏睡から覚めたゴ・ギャンは最後の力を振り絞り、未完成の作品を脳腫瘍の痛みの中で描き上げるとその場で息絶える。そこには凄惨な実相を伝える絵だけが残されます。核兵器の恐ろしさを手塚は素晴らしいストーリーで伝えました。
残された一部の臓器でも放射線は長い時間をかけて蝕んでいく。この漫画は、被爆者が生涯苦しめられる放射能障害の恐怖をしっかりと刻み込んでいます。ヒロシマの被害は80年経った今も続いていることを忘れないでほしい。
世界が保護主義に覆われて右傾化する中で、核抑止力も正当化されています。ワイマール共和国でナチスが生まれた時代がまるでデジャブのように感じられる今、当たり前のことを疑わないと取り返しのつかないことになる気がしています。