
母を亡くして2週間。棚に飾った傘寿の時の母の写真を見ると思い出すことがあります。もう8年近く前なのに昨日のことのような気もする。僕は当時高松に居たので80歳を迎える誕生日前の週末、帰広してお祝いのランチ会をしたのです。
待ち合わせしたホテルのロビーで、たった一人ぽつんと座っている母の姿が妙に寂しそうでした。近くの料亭を予約し、妻と三人でテーブルを囲んだのです。母には父の写真を1枚持ってくるよう頼んでいて、母の横に席をもう一つ用意し、写真を置いて一緒に食事を取りました。
その年は父が亡くなって、ちょうど30年目。父の死は、僕にとって身内で初めてのことだったので、骨を拾うのが本当に悲しかった。火葬場で棺が焼かれるとき、母が呟いた一言「ああ、本当に終わりね…」は、いまだに僕の耳に残っています。
傘寿の食事の間、ずっと笑っていた母の笑顔の写真を今回、父の写真に寄り添うように棚に飾りました。あの日、食事が終わって、母を一人タクシーに乗せた時、待ち合わせていた時の寂しそうな顔にすっと戻ったことを強く覚えています。
🎵いつかしら僕よりも 母は小さくなった
知らぬまに白い手は とても小さくなった
母はすべてを暦に刻んで
流して来たんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
運がいいとか 悪いとか
人は時々 口にするけど
めぐる暦は季節の中で
漂い乍ら過ぎてゆく
忍ぶ 不忍 無縁坂 かみしめる様な
ささやかな 僕の母の人生
(『無縁坂』 作詞・作曲:さだまさし)
タクシーに乗った母を見送った後、さだまさしのこの曲が頭の中に流れてきました。日テレのドラマ『ひまわりの詩』の主題歌で、池内淳子が演じる母を想う息子の想定で書かれた1975年の名曲です。グレープの最後のシングル曲でもあります。
母の骨を拾ってから当分の間、ふたたび『無縁坂』が僕の頭の中で流れ続けた。父の骨を拾ったあと、僕は祖父母を含め親戚の骨を何度か拾ってきたわけですが、その度に「死=ゼロ」という虚無感で身体がいっぱいになる気がしました。
ただ今回、母の骨を拾うときは、不思議とこの虚無感を感じなかった。母はゼロになったわけでなく、本当に父のそばに行った感覚があったのです。科学的でもないし夢想なのかもしれないが、真実が全て科学的なわけではないでしょう。
久々に父と再会した母の微笑みが僕には見える気がする。もう寂しくないよと写真の笑顔は伝えてくれます。棺に入れたアンパンと抹茶ショコラはもう食べ終えたはず。今日は二人に何をお供えしようかな?