
最近、熊が全国的に出没し、騒動が起こっていますね。ここ広島でも市内安佐南区で熊が捕獲されたニュースが話題になりました。熊を殺してしまえとか、それじゃ熊が可哀想だとか、いろんなご意見があります。
僕の大好きな絵本に柚木沙弥郎(以下サミー)の『魔法のことば』(福音館書店)があります。これは金関寿夫のアメリカ・インディアンについての著作『魔法としての言葉』(思潮社)の中の下記の詩にサミーが絵をつけたものです。短いのでざっと読んでみてねw
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ずっと、ずっと大昔 人と動物がともにこの世に住んでいたとき なりたいと思えば人が動物になれたし 動物が人にもなれた。 だから時には人だったり、 時には動物だったり、 互いに区別はなかったのだ。 そしてみんなが同じことばをしゃべっていた。 その時ことばは、みな魔法のことばで、 人の頭は、不思議な力をもっていた。 ぐうぜん口をついて出たことばが 不思議な結果をおこすことがあった。 ことばは急に生命をもちだし 人が望んだことが ほんとにおこった――― したいことを、ただ口に出して言えばよかった。 なぜそんなことができたのか 誰にも説明できなかった。 世界はただ、そういうふうになっていたのだ。
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この詩が語るのは、人と動物のあいだに境界がなかった時代です。おたがいに言葉を交わし、区別することなく共に生きていた世界。そのころの言葉は、命令や支配の道具ではなく、世界を響き合わせる“魔法”だったのだと詩は教えてくれる。

絵本を開くと、鮮やかな赤や青、緑や黄が渦を巻き、人や鳥や獣たちがいっしょに踊っています。その絵からは、境界のない自由な生命のリズムが伝わってくる。サミーの色と形は、僕たちがいつのまにか忘れてしまった「ともに生きる感覚」を思い出させてくれます。
現代社会は自然を「管理し制御すべきもの」として扱ってきました。熊は、人間のそんな思い込みをゆさぶる存在と思えます。山の神として敬われてきた熊が人里に姿を見せるのは、「お前たちは自然の一部であることを忘れてないか」と問いかけているようにみえる。
この詩にある「ぐうぜん口をついて出たことばが、不思議な結果をおこすことがあった」という一節は、言葉がもつ“いのち”を思い出させてくれます。熊と人との共生を考えるとき、必要なのは制度や対策だけではなく、こうした共鳴の感性を取り戻すことかもしれない。
山のなかで風や鳥の声に耳をすますように、熊の存在もまた、自然が語りかけてくるひとつの言葉でしょう。それを恐れや不安としてではなく、共に生きる世界への“招待”として受けとめるとき、人間はもう一度、魔法のように世界と「つながる」ことができる気がします。

恐れるべきは熊ではなく、自然との関係を絶ってしまった僕ら自身の想像力の貧しさかもしれません。生態系の再生は、人間の心の回復でもあります。熊が人間に告げているのは、「ともに生きろ」という地球からの呼びかけにほかならないと思えるのです。
「世界はただ、そういうふうになっていたのだ。」
詩の最後のこの一文には、深い慰めと真実が込められています。人も熊も、もともと同じ世界に生きていた―――その記憶を思い出すことが、いま我々にできる「共生」の第一歩なのだと思います。熊は敵ではなく、人間の忘れた魂の鏡として現れているのかもしれません。
