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鉄棒と下駄箱

先日、卒園した幼稚園の前をたまたま通ることがありました。――なんて狭いんだろう――率直に思いました。幼い頃に見た風景を、大人になって改めて見たとき、多くの人はそう思うでしょう。

 

扁桃腺をよく腫らす身体の弱い子供でした。痩せっぽちで色白で女の子みたいだったので、体格の良い男子の標的にされることが多かった。入園当初は、彼らに追っかけられるのがイヤで、休み時間が嫌いだったんです。

 

怒りや恐怖と同様、暴力やいじめの感情は、大脳辺縁系という所にコントロールされています。大脳の内側にあり、 情動・本能・欲求に関わる発生学的に古い領域です。原始的と言ってもいい。

 

一方で学習・思考・情操などの精神活動が営まれるのが、いわゆる大脳新皮質という所で、ここが成長すると大脳辺縁系を抑制することができるわけです。だから幼い頃は感情を抑えることが難しい。いじめや暴力を大人になってもやめられないヤツは、かなり原始的な存在だということです。

 

私は、近所に住んでいる年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんといつも遊んでいたので、彼らからいろんなことを教わりましたし、周りからも守ってもらっていました。だから、いきなり一人で幼稚園に通うのは不安極まりないことだったのです。

 

「だるま回り」という鉄棒のまわり方があります。幼稚園の休み時間に、教えてもらっていた「だるま回り」を、何気なくやってみたのです。周りの園児から拍手喝采スタンディングオベーション状態となりました。幼稚園児のお子ちゃまに「だるま回り」ができるヤツなんていませんからね。

 

その時から、私をいじめる子供はいなくなりました。私を標的にしていた男の子もきっと「だるま回り」で軽やかに回っている私を見ていたのでしょう。一芸に秀でるということがいかに重要かと幼心に悟りましたよ、しっかりと。笑

 

いじめっ子に追いかけられていた毎日でも、登園拒否にならなかったのには理由があります。入園2日目に下駄箱から自分の上履きを見つけることができなかった私と一緒に、ずっと探してくれた見知らぬ年長組の男の子の存在です。(私は年中組から入園しました。)


 私は、通園バスから降りた園児の後について行き、年長組の下駄箱で一生懸命に上履きを探していたのです。彼は泣いてる私に付き合って「これじゃない? これでもない?」と探してくれ、やがて先生を呼んで来てくれました。「年中組の子じゃないの。下駄箱はあっちよ」私は先生に手を引かれていきながら、彼の笑顔を見続けていました。

 

――バスには、あのお兄ちゃんが乗ってる――そう思って、毎日怖くても幼稚園に通っていました。休み時間にいやなことがあった翌日でも、彼がこのバスに乗っていると思うと何故かバスに乗ることができたのです。

 

あの時からずっと私は楽観主義者です。世の中捨てたもんじゃない。悪いヤツがいても、きっと良いヤツがいる。何かあった時には、きっと「あのお兄ちゃん」みたいな人が現れてくれます。もし悪いヤツが現れた時は、一発芸で追い払ってしまいましょう!