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体育の日とリレー競走

本日1010日は「体育の日」。それは、もうかなり昔の話です。1964年東京オリンピックの開会式が1010日に開催されたのを記念して作られた祝日でした。

 

いつの間にか「体育の日」は日にちが変わり、名前も「スポーツの日」に改称。僕らオジサン達だけが、いつまでも1010日を「体育の日」と思っている訳ですw

 

小学校の運動会もだいたい、「体育の日」前後でしたよね。全校生徒が赤組と白組に分かれて、競技をする。玉入れや綱引き、棒倒し等のトラディショナルな団体競技が好きでした。

 

小学4年生の時に、何故だか選抜リレーの選手に選ばれました。たまたま授業の徒競走の成績が良かったのでしょうか。確かに逃げ足だけは速かったのですが…。

 

36年生から各学年1人づつ選ばれた4名が数組つくられ、放課後に全員で何度か練習をしました。3年生から順に6年生までバトンを渡す。本番と同じリレー競走を繰り返します。

 

いったん組が作られると、同じメンバーが同じ順番で走るわけで、レースのパターンが決まってきます。私の場合は、最初の3年生が結構速い人で、トップでバトンを渡されと、私が必ずほかの2名に抜かされる。

 

練習の時、何度やっても2人に抜かされるので、ある日「こいつがダメなんよ。いっつも抜かされるけぇ」と、私がバトンを手渡す5年生に責められました。「こいつがおらんかったら、1番になれるのに!」…とほほ。泣

 

「いやいや、矢野くんは一生懸命走っとるんじゃけ、ダメなことはないじゃろ」そう言ってくれる6年生のリーダーがいました。――神童じゃ、神じゃ、この人は――そう思ったものです。

 

そして、迎えた本番当日。家族が見守る中で、2人に抜かれるのを見られるのは、とてもイヤなことでした。――何とかならんものか――レースが始まると、いつも通り先頭を走っていた3年生が、突然転んでしまったのです!

 

暗雲が立ち込める我らチーム。下手するとまた5年生に怒られます。5位か6位でバトンを受けた私は、全力で走り出します。家族が目前に座っているコーナーのところで2人抜いて、5年生にバトンを渡すことができました。

 

――そーか。いつも僕を抜いていく2人は、もうずっと前の方にいて、僕よりもっと遅いヤツが実は後ろにいたんだ――

 

その日の食卓で、母が言いました。「昭文は速かったねー。2人もピューと抜いていったんじゃけぇ」世の中、いつも通りにはいかないから面白い。本当なら、2人にピューと抜かれていたのは私だったんですから。笑