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母とチンチン電車 〜119回〜

昨日は母の日でした。私の母は今年で86歳。広島市内のホテルで久々に一緒に食事をしてきました。私を産んだ時はまだ25歳。若い頃の母は割と美しい女だったと思います。

 

まだ小学校に上がる前のこと、母に連れられて広島電鉄の路面電車で何度か買い物に行ったことがあります。十日市から繁華街の八丁堀まで、緑色のチンチン電車に乗るのが大好きでした。

 

とても暑い日、二人で電車の座席(1)に座ると、私たちの前に座っているオジサンたちがスカートから覗く母の素足をチラチラ見ているのに気がつきました。

 

男の本能なのか、女である母を守らねばならないと思った私は、目の前に座っている会社員たちを睨みつけます。私の様子に気づいた母が「どしたん? 怖い顔して」と言う。

 

その時の母の横顔をなぜか妙に覚えています。ブラウスから伸びた首筋はとても細く、逆光のせいか尖った鼻が透けて白かった。今では想像もできない透明な肌でした。

 

あれから50数年、母もすっかり老いてしまいました。昨年の圧迫骨折の後遺症か、腰もかなり曲がってきましたし、両足とも人工股関節のため杖は手放せません。

 

食事の時も腰痛のためテーブルに座り続けるのが苦痛らしく、会話も体の痛みや不調のことばかりの繰り返し。なんだか壊れたレコードプレーヤのようです。

 

同じ話を繰り返すのは年を重ねると仕方のないことかもしれません。同じ話でも、今はとても大切に思えます。レコードプレーヤもいつかは本当に止まる日が来てしまうのですから。

 

最後に「母」について書いた八木重吉の有名な詩を紹介しておきます。

 

――けしきが

あかるくなってきた

母をつれて

てくてくあるきたくなった

母はきっと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう―― 八木重吉『母をおもう』

 

 注)※広島電鉄の路面電車は昔、座席が固くて乗り心地がかなり悪かった。高校の陸上部で活躍していた妻は当時「広電の座席のように固いお尻」で有名でした。関係ないけど。笑