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長崎からG7広島サミットを想う 〜120回〜

今日は広島サミットの最終日。G7と言いつつゼレンスキー氏の突然の来日により、良い意味でも悪い意味でも、本来の主旨がねじまげられた感じがします。

 

発表された「広島ビジョン」も期待外れとの評価がほとんどで残念です。核抑止論が公然と宣言されたことで、核兵器廃絶を願う被爆者の想いは届かなかったとも言える。

 

さて、私はこのブログを「最後の被爆地」であるべき長崎の地で書いています。厳戒態勢が敷かれている広島からG7疎開をしてきました。同じ平和の聖地である広島から長崎へ。

 

仕事で何度も訪れた長崎市ですが、観光したことはなかった。グラバー園や大浦天主堂、そして平和公園さえ見学してなかったので、この機会にじっくり見てみようと考えたのです。

 

稲佐山から見える長崎の街並みはとても美しく、南北に長い長崎港から広がっていく青い海と外海に浮かぶ島々とのコントラストは唯一無二のものと言えます。

 

「暗い長崎」と「明るい長崎」という言葉を聞いたことがあります。北側の平和公園を中心とする被爆地と南側の被災を免れたグラバー園あたりの観光地を表現したものでしょう。

 

実は、歴史的に異人が多い南側を避けて北側に原爆を投下したのだと長い間信じていたのです。資料館で本来県庁や市役所のある市のほぼ中央に投下する計画だったのを知り驚きました。

 

天候の都合で誤って北側に落ちただけで、計画通りに原爆が投下されていたら「明るい長崎」も甚大な被害を受けていたわけです。確かに軍事施設である造船所は南側に集中している。

 

改めて戦争が持つ「無差別殺人性」を感じます。長崎原爆資料館は時間をかけて見学しましたが、まるで広島原爆資料館の焼き写し。全く同じ悲劇がわずか3日後に繰り返されたのです。

 

資料館では、特に永井隆博士の資料に釘付けになりました。被爆し、白血病を患い、壮絶な苦痛の中でも人のために尽くした「威厳」ある人間はここにも居たのです。享年43歳。

 

医者でありキリスト教徒でもある永井博士は書き残しています。――本当の平和をもたらすのは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による――(『いとし子よ』)

 

今回の広島サミットが世界平和を前進させるか、後退させるかは歴史が証明することでしょう。最終日の今日の会議を、広島に帰り改めて見つめたいと思います。