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憧れのおじさん 〜137回〜

おじさんには、伯父さんと叔父さんがいます。親戚のおじさんの話です。私に大きな影響を与えた叔父がいます。母の弟である湯里男(ゆりお)さんです。

 

もう10年近くになりますか、心筋梗塞で突然亡くなってしまいました。まだ60代でした。大学の応援団に所属していたせいか、声が大きくリーダーシップある豪快な人でしたね。

 

「湯里男」は祖父が命名した名前らしいのですが、由来はよく分かりません。多分、日本に彼以外いない名前ではないでしょうか? そんなに温泉好きだったとは聞いてませんが。笑

 

ゴルフが達者でシングルプレーヤーでした。私が大阪にいた頃、何度かゴルフ練習場に行きコーチをしてもらったことがあります。叔父は当時、奈良の学園前駅付近に住んでました。

 

ある日曜、学園前駅に車で迎えに来てもらって、練習場に向かう途中、信号待ちをしていました。前の車のドアウィンドウが突然開くと、運転手がタバコを道路にポイ捨てしたのです。

 

「こりゃ、いかん!」そう言うと叔父は突然、車を降りて前の車まで走ると、捨てられたタバコを拾って、運転手と会話をしはじめます。助手席の私はただ見ているしかない。

 

青信号に変わる直前に叔父は車に帰ってくると、運転を再開しながら「落とし物を返してきたで」と笑って言いました。叔父は何かにつけこんな感じで、ルール違反は許せない人なのです。

 

叔父には美しい妻(以下叔母)と娘がいます。あちこちで、そんな行為をするものだから、叔母はそんな場面では「他人の振りをするの」と笑って言ってました。

 

今の世の中、そんな人を見なくなりましたね。見ず知らずの他人を注意したら、逆ギレして暴行される可能性もあります。実際、正義の人が命を落とす事件がかつてありました。

 

叔父と叔母はとても仲良しで、私が幼い頃も広島に帰省してくると2人で手を繋いで出かけていました。親戚一同も声を揃えて「ほんまに仲がエエねぇ」と冷やかされるほど。

 

私が小学2、3年生の頃、まだ若かった叔母が誤って私の作りかけのプラモデルを踏んで壊したことがあります。母や祖母がやったのなら激昂したのに、なぜか怒らなかった。

 

思い起こせば、あの頃から僕は美人には甘かったんですねー笑。愛する妻と娘を残して突然逝ってしまった叔父はさぞかし無念だったでしょう。とても家族想いの人でしたから。

 

実用新案登録U3153652
実用新案登録U3153652

早くに脱サラして起業した叔父は、日用品の商品開発で実用新案(添付)を多く持っていました。大きな仕事が決まると叔母を百貨店に連れて行き、ブランド品を大盤振る舞いしてたようで。

 

私も会社には十分尽くしたし、あとは世のため人のため妻のため恩返しをしなければいけません。湯里男おじさんに似ていると言われる私も、突然死する可能性が無くはない。

 

妻にブランド品を大盤振る舞いするほどの財力も甲斐性もありませんが、叔父が叔母を大切にしてきたくらいに妻を大事にしようと思っています。これまでの罪滅しもありますしね。汗