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元旦に「器」を想う 〜145回〜

あけましておめでとうございます。

 

皆さん、家族そろって楽しい元日を迎えられたことと思います。大晦日の悪天候から、元旦の今朝はうって変わって清々しく晴れ渡っていますね。2024年は誠に縁起がいい。

 

さて皆さんは、お屠蘇をいただきましたか? 昨年からすっかり酒が飲めなくなった私も、元日ばかりはお屠蘇を少しだけいただきました。お猪口半分で結構酔ってしまいましたが。笑

 

我が家では、正月にしか使わない「器」が3つあります。①お猪口は、父の故郷鹿児島で買った特別な薩摩切子。②金沢に行った時、衝動買いした九谷焼の作家ものの平皿。そして③お雑煮用に広島の百貨店で買った平凡な漆器のお椀。

 

平凡なお椀でも、愛する妻が年に一度つくるお雑煮を入れると特別な器に変身します。宮内庁御用達山本長左の九谷焼も量販店のおせちを載せては全然輝くことがない。島津薩摩切子も安酒を入れては、なんだか重たいだけのガラス食器です。

 

器に合った中身が要るし、中身に合った器が必要なのです。これは人間も同じ。「器」は人間の能力も表します。私もこれまで器に合わない肩書きを与えられた人間を多く見てきました。彼らの部下が可哀想でなりません。泣 

 

皆さんはどうですか? まわりに「そりゃ、ちゃうやろ」という昇格ラッキーボーイや、高い能力に比して不遇な役回りをさせられている人はいませんか。人事はまさに人ごと、評価は人がする事です。器に合った職務を与えるのが経営の仕事。

 

私は今年から電通を去って、個人事業主として、また2月からはスタートアップIT企業にジョインして、セカンドステージに立つことになります。今年は自分の器に何を盛ることができるかを試す年になると思っています。

 

私の器が、手の込んだオリジナルであれば、難しい仕事がたくさん載せられても大丈夫でしょう。型通りの大量生産品であれば、簡単な仕事が来てもこぼれ落ちてしまう。これまで生きてきた人生こそが器なのです。

 

自分を超えるチャレンジを続けていきたい。自分自身を追い越していきたい。それは自分1人の努力では決してできないことでもあります。皆さま、引き続きご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願いいたします。